小野山 タカ子 耶麻 耶馬 耶馬企画

小野山タカ子


 
東京深川に生まれる。絵を描く事が大好きな少女時代を過ごす。
その後結婚、出産、子育てをしながら夫の不動産・建築業を手伝う傍ら、美術学校で油絵、デザインを学ぶ。夫とたびたび出掛けた海外旅行で、外国のクラフト手芸を見、その質の高さに興味を持つ。
とりわけキルトには女性の持つ優しさ、たくましさを感じて強く魅かれ、作品作りを始めるきっかけとなる。
1976年キルトハウス耶馬を吉祥寺にオープン、アメリカから輸入した本物の素材を扱う店として人気に。
米国より多くのキルト指導者を招聘し東京(吉祥寺)や北海道(札幌)で講習会を開き全国から受講者が集まる。米国本場のキルトを勉強するため何度もキルト三昧のツアーを計画実行した。(デンバー。パデューカ。フィラデルフィア、アーミッシュヴィレッジ。ヒューストンキルトフェスティバル等) 
また、通信教育事業も始め、通信教育のテキストブックを作り、本とキルト用の道具及び作品を作るのに必要な布も加えて販売。指導者養成講座をパッチワーク通信社の天野社長等と立ち上げる。
楽習フオーラム認定
<文部科学省許可(財)日本余暇文化振興会> 現在多くの指導者が育っている。(現在は<一般財団法人 日本生涯学習協議会>に所属)
台湾や韓国でも講習会を開いたり、国内外のキルト関連の展示会やイベントに参加するなどキルト界の発展に尽力。しかしながら、体調を崩し治療に専念するため、耶馬を閉店。その後、懸命な治療も及ばず2011年1月20日永眠。
 
 
 

小野山タカ子


 
東京深川に生まれる。絵を描く事が大好きな少女時代を過ごす。
その後結婚、出産、子育てをしながら夫の不動産・建築業を手伝う傍ら、美術学校で油絵、デザインを学ぶ。夫とたびたび出掛けた海外旅行で、外国のクラフト手芸を見、その質の高さに興味を持つ。
とりわけキルトには女性の持つ優しさ、たくましさを感じて強く魅かれ、作品作りを始めるきっかけとなる。
1976年日本ではじめてのキルトハウス耶馬を吉祥寺にオープン、アメリカから輸入した本物の素材を扱う店として人気に。
米国より多くのキルト指導者を招聘し東京(吉祥寺)や北海道(札幌)で講習会を開き全国から受講者が集まる。米国本場のキルトを勉強するため何度もキルト三昧のツアーを計画実行した。(デンバー。パデューカ。フィラデルフィア、アーミッシュヴィレッジ。ヒューストンキルトフェスティバル等) 
また、通信教育事業も始め、通信教育のテキストブックを作り、本とキルト用の道具及び作品を作るのに必要な布も加えて販売。指導者養成講座をパッチワーク通信社の天野社長等と立ち上げる。
楽習フオーラム認定
<文部科学省許可(財)日本余暇文化振興会> 現在多くの指導者が育っている。(現在は<一般財団法人 日本生涯学習協議会>に所属)
台湾や韓国でも講習会を開いたり、国内外のキルト関連の展示会やイベントに参加するなどキルト界の発展に尽力。しかしながら、体調を崩し治療に専念するため、耶馬を閉店。その後、懸命な治療も及ばず2011年1月20日永眠。

 

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